This world is beautiful. I love you. 彼は9歳の時、とあるアーティストの曲にひどく心を奪われた。 アーティストになりたい。 彼はアーティストになるという夢を持つに至った。 彼は夢見がちな少年であった。 彼の夢はそれ以降も一切揺らぐことが無かった。 学問、スポーツ、そのすべてが夢の対象にはなり得なかった。 一つとして心を惹かれなかったのである。 彼は内に秘めた夢を誰にも話すことができなかった。 所詮無理だと否定されるのが怖かったのである。 年を重ねるにつれ、人は彼を夢の無い男だと罵るようになったが、 そんな罵声は周囲の雑音と共に彼の耳をすり抜けていった。 私はアーティストになるのだ。 誰の言葉も、彼には届かなかった。 気付けば月日は流れ、彼は25歳の誕生日を迎えた。 未だ、アーティストになる夢は叶っていない。 ふと、音楽番組を目にした。 同年代のアーティストが、ステージで称賛を浴びている。 私はアーティストにはなれない。 彼は気付いてしまった。 何がきっかけで、というわけではない。 ただ単純に、アーティストにはなれないと、腹の底から、 自分の心が、魂が、納得してしまったのだ。 それからの生活は筆舌に尽くし難いものとなった。 人生のすべてが終わり、おぞましい消化試合に身を委ね、 ただ心の中にのみ存在する過去の幻想に苦しめられ、 大好きだったギターですら、見るたびに吐き気がした。 二度とこんなもの、手にするものかとさえ思った。 街中でふと耳にする曲でさえ、我慢ならなかった。 叶えられなかった夢の亡霊は、世界中に蔓延していて、 そのたびに彼を苦しめた。 何故私はアーティストではなく、 何故彼らはアーティストなのだろう。 そんな恨みにも似た感情が湧き上がっては、すぐに消えていった。 言うまでもない。 私は誰にも自分の夢を話すことができなかったのだし、 夢を追うことへの貪欲さに、どこか恥じらいを感じ続けていたではないか。 恨みは自責の念に変わり、やがてそれさえも 消えて失せていった。 終わってしまった。 自分を構成していたすべてが。 世界を映し出していたフィルターが。 息をしていた清流が、黄ばんだ 汚水に変わってしまった。 私は何者にもなれない。 それからどれくらいの時間が経っただろうか。 ある日、彼にはすこし調子の良い日があった。 何も考えず、とりあえずどこかに行きたいと思い立ち、 吸い込まれるように入店した店は、とある量販店だった。 店内に足を踏み入れると、おぞましい数の人々が 店内を埋め尽くしていた。 煌びやかな雑貨が、 チープで、そして鮮やかな電子機器が、 絶え間なく視界を彩っている。 鮮やかな夢に、汚されたパレット。 眩暈のような現実。 あまりに懐かしい非日常。 おや、と思った。 気付くと彼はとあるコーナーで立ち止まっていた。 意図したわけではない。 彼の目はパーティーコーナーのとある商品にくぎ付けとなった。 お面だ。お面が売られている。 店内の最下層でひっそりと、でも確かな存在感を放ち、 能面が陳列されていた。 何故能面なのか、その理由はまるでわからなかった。 でも確かに、彼はその能面にくぎ付けとなったのだ。 1,200円になります。 彼の手には能面が手渡され、 そしてそれは自宅へと持ち帰られた。 自宅の一室には、彼と、能面だけがあった。 忘れかけていた軽やかな興奮が彼を支配すると、 同時にその能面は彼の顔面に装着された、 するとどうだ。 忘れていた感情がのけぞるほどの勢いで噴き出し、 限られた視界から見える世界は、 9歳の時、見えていた世界そのものではないか。 尋常ならざる、「何者か」がそこには確かに存在していた。 夢見がちな少年が、 何者にも成れなかった、 夢見がちな少年の成れの果てが、 そこには確かに存在していた。 誰にも称賛されることなく、 誰の目にも触れない、最後の夢の成就。 途端に大粒の涙が溢れ出した。 鼻水やら、よだれやら、もはや収集が付きそうもない。 だが何も問題はなかった。 能面の裏に隠されたおぞましさは、 彼だけのものに、違いないのだから。 パレットは、今も次から次へと人を飲み込んで、 いずれ来る静寂を、新たな夢で隠し続けている。 これからも、永遠に。 この恐るべき奇人の行方は、誰も知らない。
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